STORY of NIKKO FINE BONE CHINA
ニッコーファインボーンチャイナの物語
陶磁器の歴史の中で、NIKKO FINE BONE CHINAが世界一白いと言われる白さを求めた物語。
陶磁器の歴史
土器誕生
土器の発明が、いつ、どこで行われたかについての詳細は依然不明であり、かつては、最初の土器は中東地域で発生して各地に伝播したという一元説が有力であったが、今日では、アフリカ・中東、中国・日本・ロシア沿海州といった東アジア、アメリカ大陸、いくつかの地方で独自に発明されたという多元説の方が有力になっている。
土器の出現は、オーストラリア生まれのイギリスの考古学者ヴィア・ゴードン・チャイルドによれば「人類が物質の化学的変化を応用した最初のできごと」であり、物理的に石材を打ち欠いて作った石器とは異なる人類史的意義を有している。土器は、粘土製でありながら、加熱することで、水に溶けない容器として作り出された道具なのである。別の見方をすれば、石器は「引き算型」の造型であるのに対し、土器製作は試行錯誤しながらの加除修正が自由にできる「足し算型」の造型であり、作り手は自らの理想的な形により近づけることができるようになったともいえる。
West Asia
先史土器~ギリシャ・ローマの陶器
肥沃な三日月地帯と呼ばれるオリエント、エジプト、エーゲ海などで土器が作られていました。隆盛期には写実性・装飾性ともに優れた土器が作られ、エジプトでは実用品のほか祭祀用の容器や土偶も作られています。
そしてギリシャではろくろの使用によって精巧な形を作ることが可能になり、さらに黒像式・赤像式といわれる技法を使って、細密に人物や神話などが描かれました。
China
中国の陶磁器のはじまり
中国陶磁の歴史は新石器時代の紅陶や彩陶(日本でいう彩文土器)から始まり、さまざまな技術革新を重ね、三彩・白磁・青磁・青花・五彩などの華麗な器を作り出し、世界の陶磁界をリードしてきた。
土器
彩陶
原始磁器
陶俑
秦始皇帝の兵馬俑がその最初といわれる「陶俑」。等身大の兵士や将軍、文官、武官、馬といった陶器でできた人形である俑が墓室に副葬品として数多く収められました。漢時代には加彩されたものも作られ、隋・唐時代は陶俑が墓室をにぎやかに飾った時代でした。
Japan
日本の土器のはじまり
日本の土器は、縄文時代よりはじまっている。いわゆる「素焼き(すやき)」の状態の器で、野焼きで焼成していた。
粘土に水を加えて均質に仕上げた素地(きじ)は可塑性に富むことから、様々に造形され、その器形や文様には民族的・時代的特徴が濃厚に遺り、考古学・歴史学の重要な資料となっています。
縄文土器
弥生土器
China
世界の陶磁界をリードする中国
さまざまな技術革新を重ね、三彩・白磁・青磁・青花・五彩などの華麗な器を作り出し、世界の陶磁界をリードしていきます。 英語のチャイナ(China)という単語は、普通名詞としては「磁器」を意味するが、このことに象徴されるように、中国は世界に先駆けてガラス質の白いやきものである磁器を生み出した。
青磁
Japan
土師器(はじき)
土器から炻器(せっき)へ
輪積み(紐状の粘土を積み上げる)で成形し野焼きで焼成していた土器から、朝鮮半島から伝えられたろくろを用い高温の窯で焼き締めた須恵器(すえき)へと、土器から炻器(せっき)へと発展させる重要な契機となりました。
炻器(せっき)は、半磁器、焼締めとも呼ばれる、陶器と磁器の中間的な性質を持つ焼き物で、1100 - 1250度で焼成する。
須恵器(すえき)
埴輪
祭祀具・副葬品の一種として多く作られた土師器が埴輪です。埴輪は古墳に葬られる人物の生前の様子やその権威を示すもの、死者の霊に対しての捧げものとして作られました。
China
白磁の誕生
カオリン石
カオリン石(カオリナイト)は、鉱物(ケイ酸塩鉱物)の一種。粘土鉱物の一種でもある。
中国の有名な粘土の産地である江西省景徳鎮付近の高嶺(カオリン:Kaoling)にその名は由来する。高嶺で産出する粘土は、景徳鎮で作られる磁器の材料として有名である。また、同質の粘土(鉱石)はカオリン(kaolin)、または陶土(china clay)と呼ばれる。
唐三彩
唐三彩は「白い素地」の焼物である「白磁」の誕生ととても深い関係があります。それまでの単色だったものが、複数の色の釉で彩られるようになりました。鮮やかに発色したその美しさは素地の白さゆえ。その美しさと技術は日本の奈良三彩やペルシア三彩など世界各地に影響を与えました。
Japan
日本の施釉(せゆう)陶器
施釉の技術は7世紀中頃に朝鮮半島からもたらされるが、実際に日本にで生産が始まるのは8世紀前半になってからである。
唐三彩に倣った「奈良三彩(正倉院三彩)」や二彩などが生産され、主に中央の貴族や皇族などの特別な階級へ供された。
やがて高級食器である中国・越州窯系青磁が輸入されると、それら青磁色の磁器を国内陶器で模倣したものとして、9世紀初頭頃に緑釉陶器が誕生した。
緑釉陶器(りょくゆうとうき)
灰釉陶器(かいゆうとうき)
セラミックロード
東洋と西洋を結ぶ文化と交易の陸路は絹の道・シルクロードと呼ばれていますが、海路は「陶磁の道・セラミックロード」と言われています。中国の陶磁器はその重量から海上ルートが中心でした。海難も多く、輸送コストが高かったので、銀器や金器と同等の価値があったとも言われています。
15世紀以降にはインド航路が発見され、ヨーロッパでは大航海時代を迎えます。中国磁器が大量に輸入されるようになり、王侯貴族など位の高い者だけが磁器を持つことができ、ステイタスシンボルになっていました。
Japan
日本の陶磁器の盛隆(仮)
中平安後期、天皇・貴族を中心とした中央集権国家から各地武家の台頭による社会体制の変動に連なって、日本各地での陶器づくりが個別行われるようになっていきます。
六古窯のはじまり
常滑焼・信楽焼・丹波焼、越前焼に別の系譜をもつ瀬戸焼・備前焼を加えた六古窯は、その後に朝鮮半島や中国大陸から渡来した製陶方法や技術によって始められた他の窯とはっきり区別される、日本生まれの窯元です。六古窯のはじまりにより、地方の自律的な産業活動が活性化していきました。
China
景徳鎮
豊富な白色粘土カオリンや磁器原料である陶石に恵まれ、水運の便も良かったことから景徳鎮で窯業が盛んに行われました。さらに「青花」を完成させ、明時代には宮廷で用いる器を専門につくる「官窯」が設置されたことによって飛躍的に発展しました。
青花
日本では染付と呼ばれる青花は、白磁の釉下にコバルトで絵付けをして、透明釉をかけて高温で焼成した磁器です。それは元の時代に景徳鎮で本格的に生産が始まったとされています。きめが細かく真っ白な素地に、馴染むように施された青色の文様は世界中の人々を虜にしました。16世紀には東アジア~イスラム~ヨーロッパへそして日本へ広まり各地に多大な影響を与えています。
Europe
磁器のはじまり
マヨリカ焼・錫釉陶器(オランダ)
ルネサンス期にイタリア人陶工によって始まったマヨルカ陶器は錫釉で白地に鮮やかな彩色を施したもの。
デルフト焼(オランダ)
大量の中国磁器がオランダへ持ち込まれるようになり、中国・青花の影響を強く受け白地に藍色で絵付けされた陶器が作られました。
磁器の間
東洋趣味の流行とともに壁一面を東洋磁器で飾った部屋を作ることが流行しました。中国の青花、柿右衛門様式や伊万里など美しい色絵磁器が、最先端の流行品としてヨーロッパでセンセーションを巻き起こし、磁器収集の熱を加速させました。シャルロッテンブルク城の「磁器の間」は特に有名で観光スポットとして人気があります。
Japan
1,616 日本の磁器誕生
豊臣秀吉の朝鮮出兵にて日本へ連れ帰られた朝鮮陶工のひとりである李参平が有田東部に泉山磁石鉱を発見し、1,616 年日本で初めて磁器を完成させました。
Japan
伊万里焼が初輸出
ヨーロッパでは中国王朝交替の内乱によって中国磁器が入手困難になると、日本の伊万里焼に注目が集まりました。伊万里焼はオランダ東インド会社からの注文を受けて輸出が始まりました。輸出が本格的になる中、1,670年代頃には技術的にも完成され、「柿右衛門様式」として確立。ヨーロッパの王侯貴族たちを魅了していきました。
※有田で作られ伊万里港から国内各地へ出荷されていたことから当初から「伊万里焼」と呼ばれていました。
Europe
1,710 ヨーロッパ磁器の誕生
中国磁器の白さに憧れた各国の王侯貴族は白い器造りを始めます。中でも東洋磁器の屈指の収集家であったドイツのアウグスト強王は、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、磁器製造の秘法を研究させます。そしてついに白磁製法を解明、1,710年ヨーロッパ初の磁器を完成させ、マイセン窯が誕生します。
England
1,812 ボーンチャイナの誕生
イギリス・ロンドンで発明されたと言われています。ヨーロッパでは、白さの原料であるカオリンの発見により、1,710年に磁器の製造を成功。一方イギリスではその原料が採れず、牛の骨灰(ボーンアッシュ)を混ぜることで白さを表現することに成功しました。ヨーロッパに遅れること50年の歳月を要したのです。
Japan
- A.D.1,904
- 日本陶器(ノリタケ)創業
- A.D.1,908
- 日本硬質陶器株式会社(NIKKO)創業
日本近代窯業の発展とワグネル
ドイツ技術者のワグネルは1,868年長崎に来日。佐賀藩鍋島公の委嘱で肥前有田の陶器改良を行ったのを手始めに、東京職工学校(現・東京工業大学)で教壇をとり、日本近代窯業の礎に大きく貢献しました。NIKKO創設者である友田安清と吉村又男らもワグネルより製陶技術を学んでいます。
- A.D.1,978
- NIKKO FINE BONE CHINA誕生
NIKKO FINE BONE CHINA
NIKKOでは1978年ファインボーンチャイナの生産を開始しました。
NIKKO FINE BONE CHINAの特徴の一つである「白さ」は、約50%にまで高められたボーンアッシュの含有量にあります。
日本では素地中に30%以上の骨灰を含むものをボーンチャイナと日本工業規格(JIS)で定められています。通常50%を超えると成形が困難とされていたものを、研究を重ねた末に見事に実現。
NIKKOは、厳選した原材料と石川県の国内工場での徹底した管理の元、世界一とも言われる純白のボーンチャイナをつくりだしています。
NIKKO FINE BONE CHINAの原料
左から、骨灰(リン酸三カルシウム)、石灰、セリサイト、カオリンが使われています。一番右は、釉薬として使われるフリット(ガラス粒)
驚きの白さと薄さ
NIKKO FINE BONE CHINAの特徴でもあり、トップシェフから支持される大きな理由はその「薄さ」と「白さ」。
その薄さは、光をかざすと透けて見えるほど。
手に持ったとき、その薄さと軽さを実感します。
これほどの薄さを追求しても、
ホテルやレストランでヘビーにお使い頂くことに耐えうる強度を持っています。
また群を抜いた白さが、食材を一層美しく鮮やかに見せてくれます。
世界中のプロフェッショナルから信頼される器
ニッコーの器は、日本国内にとどまらず、世界中のプロフェッショナルから多くの支持を受けています。
美味しさを引き立てる器として、一流ホテルや三つ星クラスのレストラン、宮殿など、世界中の至るところで、今日もシェフたちの創作意欲を刺激しています。
ニッコーは食べる歓びを、器と共に世界中にお届けしています。
手放せなくなるなめらかな口当たり
ニッコーのファインボーンチャイナの良さを体感していただけるアイテムの1つが、ボーンチャイナ製のスプーン。
金属のスプーンにある独特の金属の味がないため、料理本来の繊細な味を口いっぱいに楽しめます。
そして、口の中にいれた時のなめらかな口当たり。
その口当たりは、プリンやヨーグルト、ゼリーやスープなど、より美味しく味わうことができます。
この至極の使い心地は一度お使いいただいたら、手放せなくなること間違いありません。